
桜門をくぐり、蛸石のところに来ました
人のサイズがわかるので、いかに大きなモノかがわかります
外国からのお客さんも、この石にはビックリしています
まぁ大阪城なので、大阪を代表する場所なんですが
買い物だけじゃなくて、こういう場所にも来てくれて嬉しい^^
大阪城の巨石は、瀬戸内海の島々から採られたものであり
他にも、肥後熊本の大名 加藤忠弘とともに
この2名が担当大名として知られています。

本丸に上がって、また来ました^^: 今回は、ちょっと沢山撮ってます
でもこの建物を見るたび、ここ本丸は昔、軍の敷地内であり
関市長と大阪市民の努力により昭和の大改修により立ち入りが
許可されるようになったのを思う次第
もしそれが無ければ、未だに自衛隊の基地なってる可能性もある
実際に新潟県の新発田城などは、本丸のほとんどが
陸上自衛隊の駐屯地になっている
石畳がカーブしていて、三方向から、入り口に乗付けが可能です
天井に電灯が付いています、丸い入り口が可愛いですね^^
お城風、元軍の司令部とは思えません・・・・・
旧大阪市立博物館です<- 中部軍管区司令部 <- 第四師団司令部
戦前の大阪城、昭和3年 当時の市長、関一(せき・はじめ)提案による
大阪城復興に賛同した市民による寄付150万円の半分以上の80万を
掛けて作られた、もともと天守閣は帝国陸軍の敷地内で大阪城内にあった
第4師団司令部やその他の軍の施設をここに集めて建てられた、
天守のある旧本丸が陸軍施設のため一般人立ち入りを認めるとともに
寄付の募金半分以上を掛けて出来たのがコレ
昭和15年に豊國神社付近に、第四師団司令部の移転が決まると
中部軍管区司令部として使われ、空襲中の44年から45年のはじめ100人
近い市民が地下壕を掘るため集められた
その長さ約300メートルもあるらしい
8月14日の最後の8回目となる大阪大空襲のあったこの日に工事がストップ
大阪陸軍造兵廠(砲兵工廠)が全滅したためと思われる・・
戦後米軍が接収し、その後・大阪市警・大阪府警を経て
昭和25年 建物の前の道路が陥没して、道路の修復工事をする

大阪市立博物館は、現在の、大阪歴史博物館に移転しています
銘板と引越し案内だけが、以前ここに博物館が機能していた事実を伝えています
昭和35年 資金不足で、大阪市立博物館として、一部開館
昭和37年 10月に全館開館する
平成13年 2001年の3月31日に大阪歴史博物館開館とともに
資料等の展示物がそちらに移り、現在は扉は閉じられている
さてと天守閣を見に行こう・・・

桜がちょろちょろと咲いています^^
左側に石垣が手前に出ていて、右側から切符を買って石段を上っていきます
尚、左側にエレベーター(平成の大改修にて)があるので、便利になりました


天守閣を桜の木の下から、被せてみました、

同じ木ですが、陽が差して来ました、やっぱり光と陰影で、随分違います

ここも外せません、今回は雪の時と違い、後ろに下がることが出来ました
天守閣を見ている、場所の後ろの石垣に上がってみました
右は銃眼からです、人が見えますけど、小さいですね

同場所の天守閣 ここは良いです、こんな良い場所があったとは
立体感があってここサイコーだわ、もちろん桜も^^

そこから見た、刻印石広場です、上から見るとこんな感じ・・・・
銘板には、班・家名・大名の名前が刻印されています
但馬豊岡 松原伯耆守長房
大和高取 本多因幡守政武
讃岐岡山 生駒讃岐守正俊
備前岡山 松平宮内小輔忠雄
豊後佐伯 毛利伊勢守高政
丹後武田 中川名△正久盛 △?よく読めない・・
伊予大洲 加藤出羽守恭興
肥前佐賀 鍋島信濃守肥茂
加賀金沢 前田筑前守利常
前田家 家臣の相印 ?よく読めない・・
若狭小浜 京極若狭守忠高
まん中の列は、ほとんど、加賀金沢 前田筑前守利常とあり、刻印の種類が多いです

夕方、陽が暮れると・・もともと寂しいところですので、より一層そう感じます

お城を、どんどん下りていき、極楽橋の上に来ました、
堀の上を、渡る風が肌寒く感じました
橋の降り口には、カメラを構えた人を何人か見ることが出来ました

極楽橋と天守閣です、天守にあかりが灯りました
シャチホコのすぐ下も光っているのがオモシロイですね
それじゃ〜今度はどっち向かおうかな===・・・・
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